6月 9, 2008 | In: 未分類
ジャーナリストと野次馬の境界線に
昨日、秋葉原で悲惨な通り魔殺人事件が起きました。 まず、理不尽にもこの事件で命を失われた被害者の方々のご冥福をお祈りいたします。
さて、この事件は秋葉原というネットのヘビーユーザーが集う土地柄だったこともあり、事件直後の現場の様子等がustreamで流れたようです。 映像を配信していたkenanさんという方が、ブログで配信の件についてまとめてらっしゃいました
。
自分は映してただけなので配信状態がどうだったかとか知らない)それでも、野次馬(一般市民)の人たちが2次的被害にあってないとか、警察・救急の方々の 仕事ぶり、犯人の逮捕状況(このときは逃走中)などリアルタイムで伝えることができただろうし、事件を知ってから現場に急行したテレビ局の報道の人達より は多くの情報を伝えられたと思う。-秋葉原刺殺事件に遭遇して:Recently-
私は実際に中継を見ていたわけではないのですが、この通りの内容であれば、それは報道と言っていいのではないかと思います。
しかし、殺人事件の現場において一般人がカメラやビデオで撮影をするというのは、以前においては「野次馬」と呼ばれる行為だったはずです。
今回の事件の中継は、おそらく嚆矢にすぎず、今後さまざまな事件が起こっていくうちに、ただ現場でビデオを回すのみならず、目撃者にインタビューを敢行したり、インタビューの内容がデリカシーのないものになったり、そのインタビュー相手が実は被害者の身内だったことが後からわかって、マスコミからもネットからもまとめてバッシングされたりするような日も決して遠くはないでしょう。
私達は、そういった本来「野次馬」でしかなかった誰もがジャーナリストもどきとして振る舞い始めた時に、一体何を基準にその区別をつけられるでしょうか? 結論から言えば、判断は個々の内容によってのみ行われる方向に向かうでしょう。
21世紀に入り、ブログの普及によって私達が入手可能なテキストデータは飛躍的に増大しました。 従来からの書籍・雑誌・新聞などの有料コンテンツに加え、無数の一般人が公開する無料で閲覧可能なテキストが日々ネット上に投入されています。
その多くが、第三者から見て読むに堪えないクオリティであることは事実ですが、下手な雑誌のコラムや新聞の社説よりもレベルの高い文章がその中にあることもまた否定できないでしょう。 では、それらの玉石混淆のテキストの中から、どのように読むに足る情報を抽出しているのかといえば、それはtwitter・はてなブックマーク・newsingといったソーシャルメディアの力を借りるところが大きいように思えます。
それならば、新たなる一次情報たちを選り分けるにあたっても、そういったソーシャルメディアが利用されると想像するのが自然です。 もちろん、それが既存のサービスであるかはまた別の話です。 速報性が優先されるようなライブ配信を素早く察知し、選別するという用途には、現在のはてなブックマークのような情報の蓄積を目的としたサービスはそぐわないかもしれません。
個人的には、twitterから事件速報的なコメントを抽出するような形態のサービスに可能性を感じますが・・・
どんなサービスが利用されるかはともかく、そういったソーシャルメディアによって、一般人が行なう事件報道的な行為は、ジャーナリスティックでクオリティの高いものと野次馬的なものに選り分けられ、前者のみが掬い上げられていくようになるでしょう。
なるでしょうか?
残念ながら、おそらくそうはならないでしょう。
そもそもニュースセンター9時(あるいはJNNニュースコープ)がニュースを娯楽として扱う手法を開発したときから、ニュース、特に映像を伴ったニュース というものは娯楽であって、他人の幸福や不幸を楽しむ番組であったし、不謹慎なものであったし、また、報道というものの純粋な価値を考える上でも、不謹慎 だから報道をやめろ、という言説はいくらなんでもねーよ、と言わざるを得ないと思う。
私達はニュース報道に真実を伝えることを求める一方で、その情報を面白おかしく消費したいという欲望を持っているからです。
そして、このニュース報道に対する二つの受け取り方は、個人の内面に根ざしているがゆえに分ち難くあります。
にも拘わらず、今や私達の手には強力なメガホンが握られていて、それを社会全体で規制することはほぼ不可能と言ってよいでしょう。
そして、そのメガホンは別に事件の現場に居合わせた人間に限らず、その一次情報に種々のソーシャルメディアにおいて言及する人々の手にも等しく渡されているのです。
今回の事件において、一時犯人の身許が某大手企業の御曹司であるというデマが流れていましたが、その火元のページの一つに、はてなブックマークで「ブクマしちゃダメ」「スルー推奨」というタグが貼られていました。
実際、そのタグを貼ったユーザーの後にはほとんどブクマした人はいなかったようですが、それがはてブユーザーの自制によるものか、ただ単に伸びなかっただけなのかはわかりません。
はてなブックマークでは、最近ネガティブコメントが問題として取り上げられるようになってきていますが、今後は「どのような形で言及したか」以前に「言及するか否か」というところに、より焦点が当たっていくのではないかと予想します。
冒頭でご紹介したustreamで実況配信をしたkenanさんのエントリにも多くのはてなブックマークでの言及、ブログでの言及がありますが、最終的な消費者の視点からすれば、それらの言及(無論この辺境のブログも含む)は一次情報同様に情報のパッケージを構成する材料の一つであり、言及した人達もまた発信者としての責任を逃れることはできないということを忘れてはいけないと思います。